【息子の不登校を経験して】

現在、私56歳、長男31歳。

その長男が小学校2年生の時に、不登校が始まりました。

今から、20年以上前の事ですので、どれだけ参考になるのかな・・という気持ちもありますが、その当時は、本当に情報を手に入れるのが大変でした。

今は情報社会となりましたが、その中の一つとして、少しでも誰かの参考になるのであればと書かせて頂いています。

現代これだけ情報が発達しながら、まだまだ本当に欲しい情報が欲しい人のところにいかない現実があるように感じています。

そして、もう少し気軽に早めに相談できる場所が、地域により難しいということも20年もたったのに・・と、正直驚いていますし、残念に思っています。

世の中全体が、学校に対する見方、捉え方、不登校に対する捉え方がもう少し変化してもいいのでは・・と、思います。

(一人一人の子どもにとって、どういう形での学びが本当に良いのか、様々な自由な形の学びが 許容、選択できるようになっていってほしいなあ・・と思っています。)

 

現在、私は自宅でカウンセリングルームを主宰し、不登校のご相談にのったり、家族関係のカウンセリングなどを行っています。

昨年まで小学校などでの相談活動も行っていましたが、まず相談にいらっしゃるということ自体のハードルがとても高いと思っていらっしゃる方が多いなあ、と感じています。

(このあたりももっと気軽に相談できるような雰囲気、世の中になればな・・と思います。)

もう少し早く相談に来ていたら・・と思うこともしばしばです。

でも、タイミングというものも大切だと思っていますので、後悔とかではなく「今」を大切にして、

この経験が、これからのことを親子さんで一緒に考えることができる良いチャンスだと、捉えることができたら・・・と願っています。

 

前置きが長くなりましたが、

まず長男の不登校の原因ですが、これというものは正直分かりません。

多分色々なこと(環境的なこと、成長する上でのことなど)が重なりそうなるしかなかったということだと、今は思っています。

幼稚園の時から、お友だちと遊ぶのが大好きで、お勉強もそれなりに苦労しているわけでもありませんでした。

ただ、母親である私は、何となくこの子は学校には合わなそうだなあ・・・という感じはありました。

人に言われて何かやるというよりは、自分で自分のやり方でやりたいタイプで、自分で納得してやりたいと思うような子でした。

でも、周りのことがとても気になったり、感じてしまうので、いつも色々なことにエネルギーを使っているような感じでした。

(我が家は転勤族で、当時住んでいた場所は地方都市ということもあり、その地方なりのやり方のようなものを、知らないということもありました。)

小学1年生の終わり頃に、「もう僕は一人でもいいや・・。色々やってみたけど、ダメみたいだ・・。」

みたいなことを言っていたのを覚えています。

それまでに、先生との関係でも、友達との関係でも色々なことがあり、すっかり疲れている感じでした。

本当ならここで子どもの気持ちに寄り添い、この子にとって何が一番大切なのかを考えなければいけなかったと思います・・。

それでも、2年生になれば、何かかわるかも・・と、親子共々期待していたのですが、

その頃は今と違い、クラス替えもなく、担任も同じままでした。(現在は、持ち上がりでクラス、担任が変わらないということは、ほとんどないのではないでしょうか・・・。)

そして、2年生になってまもなくから登校渋りが始まり、しばらくして完全に不登校という形になりました。

その登校渋りの頃が一番親子共々、壮絶で大変だったと思います。

今思えば、そこでそんなに嫌なら休んでゆっくりするなり、学校側とじっくり話をするなりすれば良かったと思うのですが、

その頃の私は、学校へ行かない子どもというものを全く受け入れることが出来ませんでした。

毎朝の学校へ行く行かないのバトル、無理やり連れて行こうとする私。

柱につかまって動かない息子。

最後には、息子は腰が抜けたようになって、動かなくなっていました。

今思い出しても、息子には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

私の場合、学校へ行かせようとしていたのは、息子のためなどではなく私のため、世間体、そんなことを気にしていただけでした・・。

(全くもって、お恥ずかしい、情けない親でした・・・。)

しばらくして、学校側と話し合い、息子はエネルギーがとても落ちている状態なので、

ゆっくり休ませた方が良いのでは・・という先生(担任ではなく、不登校の担当の先生でした。)の話もあり、

そうすることにしたのですが、私は頭では息子にとっては休ませることが良いだろうと思っても、気持ちが全然納得していませんでした。

そうこうしているある日、また息子とケンカになりました。

そして、息子が言いました。

「学校へも行っていないダメな僕は、生きていても仕方ない、殺して。」 と。

その息子の言った言葉が、私の心に突き刺さりました。

人間は、存在しているだけで本当に本当に素晴らしいのに、全く忘れていた私。

そこまで、言われないと気づかなかった私・・・。

こんな私でしたが、その後カウンセリングの勉強をし、こうして不登校のご相談、カウンセリングなどをさせて頂いております・・。

あの時から現在に至るまで、色々なことがありましたが、大事なことをたくさん気づかせてくれた子どもたちに今は、感謝の気持ちでいっぱいです。
(あと現在23歳の娘もおります。 同じ兄弟でも、娘は学校はほとんど皆勤で通っています。 不思議です。)

長男はその後転校し、小学校、中学校、高校、大学と進み、現在、自分の好きなことを仕事にし、元気に過ごしています。(大学から、一人暮らしです。)

不登校し始めの頃、適応指導教室(これもすごい名前だなと思います)も紹介されましたが、

本人がそういう所には行きたくないということでしたので行っていません。

ただ、私が不安で、フリースクール、ホームスクールなどの資料を集めたり、本を読んで色々勉強したりはしていました。

そして、学校以外でも育つ場所はいくらでもあるんだと、私自身の考え方が変わっていきました。

一旦そうなると、自由な時間がたくさんあることを有意義に使おうという気持ちになり、とにかく本人がやりたい事、楽しい事ができるようにサポートしようと思って、毎日を過ごしていました。

そして随分エネルギーがたまってきたなあ・・と感じたので、本人に学校はどうするか聴いてみました。

「家で大きくなっていくのもありだし、学校へ行くのもありだけど、どうしたい?」

本人曰く、「違う学校だったら行ってみたい。」

とのことでしたので、それからは転校先、住む家探しが私たち親の仕事になり、4年生から新しい学校での生活となりました。
(まあ、その後も色々なことがありましたが・・・。)

現在、親子関係も結構中身濃く、色々な話ができる関係だと思っいます。

もし、不登校を経験していなかったら、こんな関係は築けなかったのでは・・・と思います。

そして、夫婦の関係も、不登校の経験を夫婦で向き合う中で、とても良くなったと感じています。

でも今だからこそ、そう思えるのだと思います。

なので今、不登校の真っ只中で暗闇の中にいると感じていらっしゃる方々には、気安く簡単に良い経験になります、などとはとても言えません。

20年前の私は本当にどうしたらいいのかわからず、子どもの気持ちも受け止められず、子どもを責め、自分を責めてばかりでした。

ですが今の私にはこの経験がとても貴重で、きっと私には必要なものだったんだろう・・と思えています。

どうぞ自分を責めたり、お子さんの事を責めたりせずに、今この時がどんな意味が自分たちにあるのだろうか・・、

と少しでも考えることができる時間になれたらと、願わずにはいられません。

少しだけ肩の力を抜き、深呼吸をしてお子さんとの時間を感じてほしいなあ・・と思います。

 

子どもは、本当に生きていく力、素晴らしい能力をたくさん持っています。

お子さんを信じて信じて、愛をいっぱい渡していってほしいなと思っています。

 

拙い文章でお恥ずかしいのですが、最後までお読み頂きありがとうございました。

少しでも、誰かの何かのお役に立つことが出来ましたら嬉しいです。

 

不登校・家族関係カウンセラーの宮﨑 真由子でした。

 
 

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